越野稔先生の紹介

越野稔先生は、愛媛県で土佐刃物を製造し、老舗、日本橋「木屋」に納入していました。

1980年頃、突然ひどい蕁麻疹に悩まされ、医者の診察を受け注射を打たれた直後、手足がしびれ、椅子から立ち上がれなくなり、即入院し、さまざまな検査をしたが原因は不明でした。

医師の処方の薬を飲み、点滴を受け続けますが、病状は悪化する一方でした。十日が経過した頃、全身に痛みが走り、体は完全に麻痺し、身動きができなくなってしまいます。

医師からは、「処方の痛み止めは危険状態なので、ただひたすら耐えるしかない」と言われます。別の病院では「リウマチ」と診断されリウマチ治療の結果、腹が妊婦のように膨れるのです。

すると今度は薬の副作用だから飲むなと言われます。

また、別の病院へ行くと、リウマチを示す数値は出ていないと言われます。しかも、処方の薬は命にかかわる可能性のあるものでした。

その三日後、それまで服用していたクロロキンによる患者の死亡ケースが続出し、厚生省が販売中止の通達を出したという新聞発表があったのです。1975年のことです。

薬害によって、単純な麻痺が、動悸、息切れ、めまい、心臓にまで支障をきたす事態に悪化したのです。

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